いつも、やるべきことをやらない他人の尻拭いばかりで、疲れてしまうあなたへ。

こころの健康

こんにちは。矢田の丘相談室の田中です。プロフィールはこちら

責任感が強くて、誰もやらない仕事を放っておけず、

いつも尻拭いして疲れてしまう、

そんなことってありますよね。

楽をしてずるい人たちの尻拭いは、私がやらなくても良いはずなのに、

モヤモヤしてしまいますよね。

でも、どうして尻拭いを止めることができないのでしょうか?

誰も電話を取らないなんて、ずるい!と思うけど

私の職場は電話での問い合わせの対応が結構あるのですが

みんな電話が取れるはずなのに

電話がなっても、たいてい誰も電話を取らないんです。

ずるいなあ、って思うんです。

ずるいと思うけど、耐えかねて大体私がとってしまっています。

お客様のことを考えたら電話を取るはずだとか、

仕事を何だと思ってるんだろうと怒りを感じるし

せめて私1人だけでも、ちゃんと対応したい。

でもそうすると、結局いつも私が尻拭いをやらされてばかりでいることに

イライラしています。

どうしてズルい人の尻拭いをしてしまうんだろう…

自分たちばかり楽をしてずるいですよね。

この「ずるい人を許せない」と言う、

ずるい人に対する怒りから

「この状況を放って置けない!」

尻拭いの原動力にも、なってしまうんですよね。

でも、そういうズルい人は放っておけばいいって、自分でもわかっているのに、

どうしていつも、尻拭いをしてしまうのでしょうか?

放っておいたらどうなると、あなたは思っているのでしょうか?

かつての「私」を救うために、尻拭いしてしまう

どうして尻拭いをしてしまうのか。
ずるい人に困らされている人は
一体誰なのか?


過去の出来事を遡ると、そこには
かつて困っていた人がそこにいるかもしれません。

例えば

兄弟の中で、兄はちやほやされていて
いつも欲しいものを買い与えられていました。
晩御飯のおかずも、兄だけ多いこともよくありました。
些細なことかもしれないけど。


どうしてこんなに不平等なのか
それは兄弟の中で兄が
家業を継ぐことが決まっていたからです


家の大事なことを私抜きで
兄と実家だけで話し合って決められてしまったことも

何度もありました。

私は家のことをするのが当然のような扱いで、
どれだけ家に貢献しても褒められる事はありませんでした。

一方で、兄は、自分だけが優遇されることを当然のように思っており
感謝するどころか、不平不満を言うことが常でした


何度も母にいかに不平等だったか、
謝ってほしいと訴えましたが、
「そんなことはしてない」、って否定するんです。

家の事情だから仕方がないと、何度も諦めようと思ったけれど、
でも、やっぱり許せないんです

どうして、私のことをもっと見てもらえなかったのだろう?
どうして、私の言い分を聞いてくれなかったのだろう?、と。



この事例の場合、

ズルい人に搾取されて怒っていたのは、
「かつての自分」


ズルい人が逃げている時に
もし自分が放っておいたなら、

悲しむのは「かつての自分」。

と言う姿が浮かび上がってきます。

これは、何も仕事だけの話ではありません。
「かつての私」を助けるために、尻拭いを止めることができない。
対人関係において、この構造は、いつも再現・発生し得るのです。

平等に扱って欲しかった、悲しみを吐き出す

さて、現実的には、ずるい人たちもちゃんと電話を取るように
管理職が指導すべきですし、

メンタルヘルスを保つためには
「頼まれていないことをやらない」と言うことも必要です。

しかし、上記のような「かつての私」の悲しみや怒り
未消化のままで心の中にあると
放っておけなくて尻拭いしてしまいます

平等に扱われなかった「かつての私」を救わなえれば、という怒りです。

大元になっているその悲しみや怒りを
カウンセリングのような安全な場で
きちんと消化させておくと

「かつての怒り」から自由になり

頼まれていない事はやらないでおこう

落ち着いて、放っておけるようになると思います。

これを読んでいるあなたも、
尻拭いから解放されてみませんか。

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※事例は全て架空事例です。複製・転載は固くお断りいたします。

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