「なぜ生きているのかわからない」生きる希望を持てないと感じているあなたへ。

こころの健康

こんにちは。矢田の丘相談室の田中です。プロフィールはこちら


漠然とした「何故生きているのかわからない」という思いを

カウンセリングで語る方が、少なからずいらっしゃいます。

中には家族とのいざこざがあったり、借金があったりして、

なんとなく理由が思い当たる方もいれば

仕事もあって、経済的に安定していて、

特に思い当たる理由がない、と言う人もいます。

でも私の臨床経験からある共通した特徴を持っている方がいらっしゃいます。

生きる希望が持てない

事故か何かで、突然人生終わらないかなと思うことがあります。

積極的に死にたいわけじゃないんです。

仕事もあって普通に生活している。

別に悩むことなんてないじゃないか、と言われると思います

でも、いつも漠然と

突然人生が終わってくれないかなと思って
しまいます。

どうして生きねばならないのかがわからない。

私には病弱の兄がいました。家族は兄の介護で手一杯でした。

私はいわゆるいい子で親の手を煩わせたくなかったのかもしれません。

両親とも兄のケアでとても大変そうでした。


時に兄のことで喧嘩をすることもありました

私は学校でひたすらいい成績を取り

集団の中でうまくやっていくことで

生き延びていました。

今私は自分に自信がありません

人から頼まれれば断らないし

きっといい人だと思われてると思います

でも心の内は、言いたいことを言えずにいつも我慢しています

職場では私が何でもやると思われているのか、仕事が増える一方です

なぜだかわからないけど、生きる希望が湧きません。

愛される体験のつまづき

これは私の臨床経験から言えることですが

愛されたかったのに、致し方ない事情で

実現することができなかった。

このような「愛される体験の不全感」

といったような体験が、

語られる事は少なからずあります

この事例で最も重要なポイントは、誰も悪くないことです。

子ども心にもそれはわかるので、誰も責めることができない

でも
「なら一体誰に愛情を求めればよかったのか」
愛されなかった不全感は、確実にそこにあります。

これは家族の中で起こることもあるし、

学校集団内でのいじめのような場面で

起こることもあると思います。

どんな子どもにも「平等に愛されたい」と言う願いがあります。

でも、
「こんな状況じゃ仕方ないじゃないか」
「自分が我慢するしかないじゃないか」
「私のことが憎いから、こうしてるわけじゃない」
「私に愛される価値がないわけじゃない」


そうやって、自分を諭しながら
誰にも甘えないで、自分で解決しなければならない
言い聞かせて生き延びている。

でも本当は、
「自分には愛される価値がないのではないか」
「自分に生きる価値はあるのだろうか」

いつも傷ついていて、自信がない
頼まれると断らない「良いひと」でいるでいるけれど

自分に価値を感じることができなくて、
生きる希望を持てないまま、
漠然と苦しい日々を送っている、


安全なカウンセリングで、途切れたフィルムをつなげ、楽に生きる

もしかしたら、この記事に辿り着いたあなたも、
この事例の主人公のように、苦しんでいるのではないでしょうか。

だとしたら、安全なカウンセリングの場で
途切れたフィルムをつなげる作業をすることで、
生きることに、少し希望が持てるかもしれません。

途切れたフィルムとは

あなたが本当は何を望んでいたのか
あなたは本当は、何をなくしてしまったのか

その時、言えなかったことはなんだったのか

言えなかったけれども、不平等じゃないか、と言いたかった
どうして私が我慢しなければならないのか、と問いたかった
私だって、愛情を注いで欲しかった


このような思いを解放することで

生きる希望を育て直すことができると思います

ご予約ご相談は、こちらから

※事例は架空事例です。複製・転載はお断りいたします。

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